モラヴィア族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 02:51 UTC 版)
モラヴィア族 (en:Moravians (tribe) 古代スラヴ語: Moravljane, スロバキア語: Moravania, チェコ語: Moravané)は中世前期頃の西スラヴ族である。しかし、モラヴィア族がいつごろ誕生したかについて正確にわかっていない、チェコの歴史家ドゥシァン・トジェシュチークは部族は他のスラヴ族と同じ時期にあたる6世紀から7世紀にかけての変わり目の間に形成されたのではないかと述べている。 9世紀、モラヴィア族は西部スロバキアやモラヴィアの歴史的地域周辺を中心にだけで無く、低地オーストリア(ドナウ川に至る所まで)や北部ハンガリーの一部にさえも定住していた。モラヴィア族について最初に言及しているのは822年のフランク王国年代記からである。部族はバイエルン人の地理学者によってボヘミア族とブルガリア族の間に位置づけられる。 9世紀にモラヴィア人は、隣接のニトラを支配、10世紀までにモイミール王家によりモラヴィア王国を建国した。往々にして、王国はボヘミアや現在のハンガリー、ポーランド、ウクライナの一部など他の近隣領域を支配、中央ヨーロッパで最強国の一つに浮上する。 モラヴィア王国崩壊後、モラヴィア族は新しい国家ボヘミア公国とハンガリーの間で分断、分割された。西部モラヴィア人はチェコ人に同化し、現在はチェコ人として同一視されている。近代スロバキア国家はハンガリー王国内においてモラヴィア族の東部で形成された。
※この「モラヴィア族」の解説は、「モラヴィア人」の解説の一部です。
「モラヴィア族」を含む「モラヴィア人」の記事については、「モラヴィア人」の概要を参照ください。
- モラヴィア族のページへのリンク