モスクワ大公国時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:55 UTC 版)
「ノヴォデヴィチ女子修道院」の記事における「モスクワ大公国時代」の解説
1524年に、ノヴォデヴィチ女子修道院は創建された。モスクワ大公・ヴァシーリー3世の命によって、建設が開始されたこの修道院は、1514年に、スモレンスクがモスクワ大公国に併合されたことを記念して建てられた。修道院は、モスクワ川の湾曲部における要塞(クレムリ)の役割を果たしていた。これは、他の修道院も同じような役割を持っていた。創建の際に、3,000ルーブルと2つの村が修道院に与えられた。イヴァン4世の時代には、さらに複数の村が寄進されている。 この修道院は、ロシア王家やボヤール(Boyar、10世紀から17世紀にかけての貴族のことを指す)出身の貴婦人たちを多くかくまったことで有名である。彼女たちには、ヴェールの着用が義務付けられた。修道院で修道女となった女性で著名な者では、フョードル1世の妻であるイリナ・ゴドゥノヴァ、ピョートル1世の姉妹であるソフィア・アレクセーエヴナ、そして、ピョートル1世の最初の妻であるエヴドキヤ・ロプーヒナである。 ロシア・ポーランド戦争では、1610年から11年にかけての一時期、アレクサンデル・ゴシュースキ (Aleksander Gosiewski) が指揮するポーランド軍に占領されたこともある。その後、修道院はロシアの手に戻り、1616年には、修道院を護衛するために、100人の護衛兵が配備された。1618年には350人まで増強され、17世紀末までには、36の村を保有する大地主にまで成長した。
※この「モスクワ大公国時代」の解説は、「ノヴォデヴィチ女子修道院」の解説の一部です。
「モスクワ大公国時代」を含む「ノヴォデヴィチ女子修道院」の記事については、「ノヴォデヴィチ女子修道院」の概要を参照ください。
- モスクワ大公国時代のページへのリンク