モスクワ大公国の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 17:32 UTC 版)
「ロシアの農奴制」の記事における「モスクワ大公国の時代」の解説
中世ロシア社会では、秋の収穫を終えた「聖ユーリーの日」の前後に農民の移動の自由が認められていた。ただし、みずからの領主に対して負債のある場合には移動の権利を行使できなかったため、実際には、多数の農民が土地に拘束されていた。15世紀に入ると、富裕な領主が負債を肩代わりする代償として農民を自己の領地へ引きぬく行為が増加しており、このことは中小領主の農地経営をむしろ圧迫した。15世紀末、リューリク朝のモスクワ大公で「全ルーシの君主」を称したイヴァン3世が農民の移動を制限する「1497年法典(スヂェブニク)」(en)/ru)を定めた。これにより、農民の移動は「聖ユーリーの日」の前後それぞれ1週間(計2週間)に制限されることとなった。
※この「モスクワ大公国の時代」の解説は、「ロシアの農奴制」の解説の一部です。
「モスクワ大公国の時代」を含む「ロシアの農奴制」の記事については、「ロシアの農奴制」の概要を参照ください。
- モスクワ大公国の時代のページへのリンク