モサラベ語に関する記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 07:49 UTC 版)
「モサラベ語」の記事における「モサラベ語に関する記録」の解説
モサラベ語で書かれた短いテクストに加え、アル=アンダルス時代の著述家によるさまざまなモサラベ語についての記述が今日まで伝わっており、このことによってその社会的使用や様々な文脈における使用の広がりなどを理解することが可能となっている。これらの言及の中で、モサラベ語は'aljamía'(aǧamíyya)、'latiní'(Lathinī)という名称でしるされている。以下いくつかの例を提示する: 地理学者のIbn Khordadhbeh(Abū l-Qāsim ʿUbayd Allāh ibn Khordādhbeh, 820年-911年)はイベリア半島で話されている言語を2種類に分類し、言及している:南部のandalusiyyaと北東部のafrangiyyaである。 歴史家のBenalcutíaはDaysam ben Ishaq支配地(10世紀初頭のTudmirの地域)からのAbdalaの軍が到着した時、次のことを残している: «人々は、平和を願って、その地の方言で叫んだ» 11世紀の博識なムルシア人Ibn Sida(Abū-l-Hasan `Alī ibn Ismā`īl al-Musrī al-Andalusi al-lugawī)はその著作Kitāb al-Mujassasの冒頭で、彼が著したある作品でのアラビア語を間違えた可能性について以下のように謝罪している: «そして、もし私が、あの時代に、そしてaljamíaで話す人々と親密に暮らさねばならない状況にあって、書くのであれば、どうして私がそれらを間違えるであろうか?» 11世紀のサラゴサの医師で、植物学者のIbn Buqlaris(Yonah ben Isaac ibn Buqlaris al-Israili)はその著作Kitab al Mustainiの中で"aljamía"または"アル=アンダルス東部のlatinía"からその土地固有の植物の名を記している。 Ibn al-Baitar(Ḍiyāʾ Al-Dīn Abū Muḥammad ʿAbdllāh Ibn Aḥmad al-Mālaqī、1190年あるいは1197年-1248年)という名の13世紀のマラガの医者で植物学者はAl G̕āmi 'li mufradāt al adawiya wa al aġdiという著作の中で、latiníaとaljamíaの語彙の等価性について記している。イベリア半島東南部によくありふれた植物の名称について触れて、"アル=アンダルス東部のaljamía"のことを記している。
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