モサラベとキリスト教徒諸王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 07:49 UTC 版)
「モサラベ語」の記事における「モサラベとキリスト教徒諸王国」の解説
レコンキスタの進展によって、モサラベ住民は、そこの住民に影響を与え、そして征服されたイスラム教徒の領域の制度や、物についての語彙を浸透させながら、キリスト教徒諸王国に組み込まれていった。同様に日常的に使用される用語が浸透していった。前述したように、モサラベ語は12世紀以降ムワッヒド朝の到来もあり激減し、これらのアンダルス・アラビア語話者はすでにモサラベ語の話者ではなかった。南部のイスラム教徒支配下の土地から北部へのキリスト教徒のモサラベの移住によって、ほとんどイスラム支配をうけなかった地域においてもアラビア語起源と思われる地名が見られる。 一方、北部のキリスト教徒のロマンス諸語へのアラビア語の影響は11世紀のコルドバの後ウマイヤ朝の分裂を契機に拡大したと考えられる。レコンキスタが拡大し、11世紀以来他を圧倒しつつあったカスティーリャ王国で話されていた中央部や北部のカスティーリャ語に多くのアラビア語が侵入していった。このことによっておそらくモサラベ諸方言とカスティーリャ語、ポルトガル語、カタルーニャ語との間に当時接触があり、意思疎通が可能であったであろうと思われる。
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