ミュンスター再洗礼派の社会構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 09:01 UTC 版)
「ミュンスターの反乱」の記事における「ミュンスター再洗礼派の社会構造」の解説
ミュンスターで再洗礼主義を信奉する傾向が強かったのは、男性よりも圧倒的に女性であった。自発的に成人洗礼を受けた男性が、400〜500人程度であったが、自発的に成人洗礼を受けた女性は男性の約2倍の900〜1000人であった。さらに、オランダや北西ドイツ各地からミュンスターに流入してきた再洗礼派も、男性が500〜600人以下、女性が2000〜3000人程度と、圧倒的に女性に偏っていた。このことから、ミュンスター市内でも、オランダや北西ドイツなど北西ヨーロッパ一帯でも、再洗礼主義を支持したのは、圧倒的に女性であったことが分かる。 再洗礼派がミュンスターの統治権を得た後に市内に残った、元々再洗礼主義を信奉していなかった住民も、圧倒的に女性が多かった。そのため、1534年10月の時点での男性数は約1600人、女性数は4000〜5000人と、市内の女性の数は男性の数の数倍に及んだ。 また、市内には、全人口8000〜9000人と比べて、極端にわずかな1000〜1200人の子供しかいなかった。そのため、市内にいた再洗礼派、さらには市外から流入した再洗礼派の大半は、家族や子供を見捨てた者か、元々子供を持たない未婚者であったことが分かる。 16世紀以来長らくミュンスター再洗礼派運動に参加したのは、主に貧窮した下層民であったと見なされてきた。しかし、1973年に出版されたカール=ハインツ・キルヒホフの研究は、ミュンスター司教による財産没収リストを使って、ミュンスター再洗礼派の財産階層が貧困層に偏っていたわけではないことを示し、伝統的な見方を覆した。 しかし、中上層と下層男性が再洗礼派統治期のミュンスター市内に残った比率を算定した2008年の永本哲也の研究では、市内に残った下層男性の比率は、市内に残った中上層男性の比率よりも、大幅に高かったと結論づけられている。 以上のように、ミュンスターの再洗礼主義は、男性よりも女性、女性の中でも子供を持つ既婚女性よりも、子供を持たない未婚女性、男性の中でも、中上層男性よりも下層男性によってより強く支持されていた。 ただし、ミュンスター再洗礼派の指導的地位は、再洗礼派統治が始まる前と同じように、主に名望家たちによって占められていた。また、ミュンスター再洗礼派の指導部には、市外から流入してきた再洗礼派も参加しており、ミュンスターの地元再洗礼派と市外から来た再洗礼派が、共同で統治を行う体制ができていた。
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