ミズノ入社後
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大学卒業後はミズノに入社し、陸上競技の室伏広治らと同様、ミズノの社員選手として競技を続けることになった。ミズノは2007年5月にSPEEDO水着事業から撤退し、翌6月から自社ブランドの水着事業展開を始めたが、寺川は他の「社員スイマー」とともに「ミズノスイムチーム」の結成に参加。以後はこの名義で大会に参加するとともに、社員として自社水着の開発目的でのテストスイムと、宣伝活動を行っている。 2008年4月に行われた日本選手権では、中村礼子と伊藤の前に100m、200mとも屈する形となり、2大会連続のオリンピック出場はかなわなかった。入社初年度のミズノ水泳部の女子部員が寺川だけで、商品開発のための「テスト・スイマー」としての泳ぎが優先され、自分のための十分な練習時間が取れなかったためではないかとみられている。 その後、平泳ぎの種田恵がミズノに入社することになった。それを受け、商品開発目的で泳ぐことの負担が軽減され自分のための練習時間や、平井伯昌コーチ の教えを受ける機会を増やせるようになり、復活の兆しを見せ始めた。 2008年12月14日、第13回高岡市水泳スプリント選手権大会の50m背泳ぎで、26秒73の短水路日本新(当時)を記録。2009年1月のKONAMI OPEN 2009では50m背泳ぎ28秒11、100m背泳ぎ1分00秒53と共に自己ベストを更新、2009年2月15日、競泳短水路の東京都記録会の50m背泳ぎで26秒40の短水路アジア新をマークした。 2009年4月に行われた日本選手権では、100m背泳ぎで59秒67と初めて1分を切り7年ぶり2度目の優勝を果たした。50mでも予選で27秒94、決勝で27秒78と連続で日本記録を更新して優勝した。200mでは完全にライバル関係へと変わった伊藤を破り、“背泳ぎ三冠”を達成。ローマで開かれる世界選手権の代表に選ばれた。 2011年7月に上海で行われた世界水泳では、100m背泳ぎで5位に入賞、50m背泳ぎでは27秒93の記録で2位に入り銀メダル。世界選手権で初のメダル獲得となった。
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