ミズノ入社後とは? わかりやすく解説

ミズノ入社後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 15:38 UTC 版)

寺川綾」の記事における「ミズノ入社後」の解説

大学卒業後はミズノ入社し陸上競技室伏広治らと同様、ミズノ社員選手として競技続けることになったミズノ2007年5月SPEEDO水着事業から撤退し、翌6月から自社ブランド水着事業展開を始めたが、寺川は他の「社員スイマーとともにミズノスイムチーム」の結成参加以後はこの名義大会参加するとともに社員として自社水着開発目的でのテストスイムと、宣伝活動行っている。 2008年4月行われた日本選手権では、中村礼子伊藤前に100m200mとも屈する形となり、2大会連続オリンピック出場はかなわなかった。入社初年度ミズノ水泳部女子部員寺川だけで、商品開発のための「テスト・スイマー」としての泳ぎ優先され自分のための十分な練習時間取れなかったためではないかとみられている。 その後平泳ぎ種田恵ミズノ入社することになった。それを受け、商品開発目的で泳ぐことの負担軽減され自分のための練習時間や、平井伯昌コーチ教えを受ける機会増やせるようになり、復活の兆し見せ始めた2008年12月14日第13回高岡市水泳スプリント選手権大会の50m背泳ぎで、2673短水路日本新(当時)を記録2009年1月KONAMI OPEN 2009では50m背泳ぎ2811100m背泳ぎ1分0053と共に自己ベスト更新2009年2月15日競泳短水路東京都記録会の50m背泳ぎ2640短水路アジア新をマークした2009年4月行われた日本選手権では、100m背泳ぎ5967初めて1分を切り7年ぶり2度目優勝果たした。50mでも予選2794決勝2778連続日本記録更新して優勝した200mでは完全にライバル関係へと変わった伊藤破り、“背泳ぎ三冠”を達成ローマで開かれる世界選手権の代表に選ばれた。 2011年7月上海行われた世界水泳では、100m背泳ぎで5位に入賞、50m背泳ぎでは2793記録2位入り銀メダル世界選手権で初のメダル獲得となった

※この「ミズノ入社後」の解説は、「寺川綾」の解説の一部です。
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