マーティン・ブラウンの殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 15:10 UTC 版)
「メアリー・ベル事件」の記事における「マーティン・ブラウンの殺害」の解説
1968年5月25日、メアリー・ベルが11歳の誕生日を迎える前日、彼女は聖マーガレット街道85番地にある廃屋の2階にある寝室で、当時4歳であったマーティン・ブラウン(Martin Brown)の首を絞めて殺した。これはメアリー単独の犯行であると考えられている。午後3時30分頃、3人の子供たちがマーティン・ブラウンの遺体を発見した。マーティンは両腕を頭上に伸ばしており、仰向けに倒れていた。マーティンの口の周りには出血と(マーティンが)泡を吹いた形跡が見られたが、暴行を受けた様子は無かった。地元の労働者の1人、ジョン・ホール(John Hall)がすぐに現場に到着し、心肺蘇生法を試みるも、無駄に終わった。ホールが心肺蘇生を試みているその最中に、メアリー・ベル(彼女は地元では「メイ」(May)の名で呼ばれていた)とノーマ・ベルの2人が現場に姿を現わした。2人はすぐに建物から追い出された。2人は、マーティンの叔母、リタ・フィンリイ(Rita Finlay)が住む建物の出入り口の扉を叩き、以下のように伝えた。 「叔母さんの子供の1人が事故に遭ったの。あれはマーティンだと思うんだけど、彼の身体は血だらけで、識別できないのよ」 翌日、医師のバーナード・ナイト(Bernard Knight)がマーティン・ブラウンの遺体の検死を行った。ナイトによれば、マーティンの遺体には暴力の痕跡が見付からず、その死因は特定できなかったが、「マーティンは錠剤を呑んで中毒死したのではないか」という捜査官の説を否定できた。 6月7日には、「死因は不明」との評決が下された。
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