マルクス主義への傾倒と学生運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 04:08 UTC 版)
「中嶋嶺雄」の記事における「マルクス主義への傾倒と学生運動」の解説
当初は、父の後を継いで薬剤師になるために理科系へ進むつもりであったが、家業が暗転したことで世の中の矛盾に気付きマルクス主義に目覚め、社会科学を学ぶために文系へ進路変更した。失恋の影響で高校卒業後、一年間浪人。社会主義革命の息吹に燃えていた中国を専攻したいという思いから、東京外国語大学の中国科を受験して合格する。入試の面接(当時は入試に面接があった)では、「なぜ外大を選んだのか」という質問に対し、「串田先生(串田孫一)がおられるから」と答えた。また、語学をフランス語で受験したが、受験者中最高点だったという。東京外国語大学入学後は学生運動に没頭し、安保闘争に身を投じた。その中で、妻となる奈良女子大学理学部の洋子(後に中学校の理科の教員となる)と出会う。大学を卒業する頃は安保闘争の高揚期であったため、企業への就職活動は一切行わなかった。
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