マラソン・実業団女子駅伝初優勝とは? わかりやすく解説

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マラソン・実業団女子駅伝初優勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 14:31 UTC 版)

弘山晴美」の記事における「マラソン・実業団女子駅伝初優勝」の解説

37歳となった2006年3月名古屋国際女子マラソンでは、41キロ地点までトップ走っていた渋井陽子を、一時最大58秒もあった差を驚異的な粘りかわして大逆転自己最高に迫る2時間23分台の好タイム悲願マラソン初優勝果たしたゴール後に夫の勉ヘッドコーチ当時)と抱き合い号泣した姿は、陸上ファンならずとも大変感動するシーンとなった。なお、37歳での日本女子選手国内三大マラソン当時東京・大阪・名古屋優勝は、34歳同じく名古屋優勝した浅井えり子3歳上回る現在の最高齢記録である。さらに2時間2326秒のゴールタイムは、35歳上の女子マラソンランナー記録としては、2016年現在でも日本女子最高記録である(ちなみに35歳上の女子マラソン世界最高記録は、イリーナ・ミキテンコ2008年ベルリンマラソン記録した2時間1919秒である)。 38歳となった2006年12月全日本実業団対抗女子駅伝では、資生堂6区アンカー務めた5区から6区への中継所での弘山は2位でたすきを受けるも、10秒差あった首位三井住友海上アンカー大崎千聖途中で追いついた。そして最後長良川陸上競技場入ってからトラック引き離して逆転、ついに資生堂初優勝貢献した資生堂陸上部功労者であり、最初にゴールテープ切ってほしいという願い叶えた弘山に対し資生堂部員達はゴール嬉し涙流していた。

※この「マラソン・実業団女子駅伝初優勝」の解説は、「弘山晴美」の解説の一部です。
「マラソン・実業団女子駅伝初優勝」を含む「弘山晴美」の記事については、「弘山晴美」の概要を参照ください。

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