マラソン・実業団女子駅伝初優勝
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「弘山晴美」の記事における「マラソン・実業団女子駅伝初優勝」の解説
37歳となった2006年3月の名古屋国際女子マラソンでは、41キロ地点までトップを走っていた渋井陽子を、一時は最大58秒もあった差を驚異的な粘りでかわして大逆転、自己最高に迫る2時間23分台の好タイムで悲願のマラソン初優勝を果たした。ゴール後に夫の勉ヘッドコーチ(当時)と抱き合い号泣した姿は、陸上ファンならずとも大変感動するシーンとなった。なお、37歳での日本女子選手の国内三大マラソン(当時東京・大阪・名古屋) 優勝は、34歳で同じく名古屋で優勝した浅井えり子を3歳上回る現在の最高齢記録である。さらに2時間23分26秒のゴールタイムは、35歳以上の女子マラソンランナーの記録としては、2016年現在でも日本女子の最高記録である(ちなみに35歳以上の女子マラソン世界最高記録は、イリーナ・ミキテンコが2008年にベルリンマラソンで記録した2時間19分19秒である)。 38歳となった2006年12月の全日本実業団対抗女子駅伝では、資生堂の6区アンカーを務めた。5区から6区への中継所での弘山は2位でたすきを受けるも、10秒差あった首位の三井住友海上のアンカー大崎千聖に途中で追いついた。そして最後の長良川陸上競技場に入ってからトラックで引き離して逆転、ついに資生堂の初優勝に貢献した。資生堂陸上部の功労者であり、最初にゴールテープを切ってほしいという願いを叶えた弘山に対し、資生堂の部員達はゴール後嬉し涙を流していた。
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