マッツァルの歴史
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「マッツァル国立公園」の記事における「マッツァルの歴史」の解説
マッツァルの地において初の科学的な調査が行われたのは1870年頃のことで、タルトゥ大学で自然史博物館のキュレーターを務めていた、ヴァレリアン・ルソー(Valerian Russow)がマッツァル湾近郊の鳥類の概要を示したのが最初である。1928年から1936年にはエーリック・クマリ(Eerik Kumari)がマッツァルの鳥類を調査し、この地を鳥類保護区にすることを提言した。 1945年には科学的調査は正式なものとなり、エストニア科学アカデミーの植物学および動物学の研究基地がPenijõeに設立された。 そして1957年にマッツァル自然保護区は設立された。目的は主に鳥類の巣作り、換羽(羽毛の生え替わり)、渡りの保護などである。初の常勤者である管理者や科学者は翌1958年から勤務を開始した。Penijõe研究基地の業務は新たに作られた自然保護区の管理センターに引き継がれた。鳥類標識調査(鳥に個体識別のための足輪を装着し、行動範囲を追跡調査する手法)の管理を行う鳥類標識調査センター(エストニア語: Rõngastuskeskus)もまたPenijõeに置かれた 。 1976年、マッツァルは「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)登録湿地に加えられた。 2003年には、欧州評議会からマッツァル自然保護区における多数の鳥類や他の種の生息に関する多様性の維持に成功している事が評価され、欧州自然保護地域賞(European Diploma of Protected Areas)を受賞した。これはエストニアで最初にして唯一のことである。 2004年にはこれまでの自然保護区の領域がマッツァル国立公園として格上げされた。
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