マゼラン遠征隊への参加
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「アントニオ・ピガフェッタ」の記事における「マゼラン遠征隊への参加」の解説
セビリャでマゼランの航海計画を知ったピガフェッタは、乗客として同行できるよう交渉した。当初、交渉は難航したが、やがてマゼランの信頼を得ることに成功し、通訳兼地図製作者として乗り組むことができた。 航海の間、ピガフェッタは訪れた場所ごとに、地理、気候、植物、動物、住人など詳細に記録した。彼の綿密な記録は改竄を受けながらもヨーロッパ各地で発行され、後の探検家や地図製作者にとってきわめて貴重な情報源となった。16世紀ヨーロッパ人の持っていた南アメリカや太平洋諸島の情報の多くはピガフェッタがもたらしたものである。 ピガフェッタはマゼラン艦隊の出航以来毎日欠かさず日記を付けているが、ビクトリア号が世界一周達成を目前にアフリカの西にあるヴェルデ岬諸島に立ち寄り現地人に曜日を確かめたところ、ピガフェッタの日記では水曜日であるはずがヴェルデ岬諸島では木曜日であることを知り大変驚いている。21世紀の現代でこそ地球を西回りに一周したのだから日付けがずれるのは当たり前であるが、人類初の世界一周の記録者ピガフェッタは地球一周による日付けのずれを実感した最初の人でもある。
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