ホンダ勢1-4位独占
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 07:25 UTC 版)
「1987年イギリスグランプリ」の記事における「ホンダ勢1-4位独占」の解説
レースはウィリアムズの2台が後続を引き離し、その背後にロータスのセナとマクラーレンのプロストが続いた。レースの半分を過ぎるとセナがプロストの前に出て、ホンダエンジン搭載車が1位から3位までを占めた。その背後にはプロストとフェラーリのアルボレート、スタートで順位を上げてフェラーリのベルガーとマクラーレンのヨハンソンを従えて走っていたロータスの中嶋の順で続いた。 上位陣はレース終盤までこの順位で進行したが、アルボレートとプロストが相次いでトラブルに見舞われると、6位を走行していた中嶋が4位に繰り上がり、ついにホンダエンジン搭載車の全4台が先頭から4位までを独占し、この4台はゴールまで走りきった。レース終盤には、競り合うウィリアムズの2台が3位のセナを周回遅れにし、ほぼ同時に中嶋を2周遅れにした。 ゴール後、中嶋が2周遅れになったことについて、ホンダ総監督の桜井淑敏はフジテレビのインタビューの中で「燃料切れを避けるためにペースを落とした結果」だと述べた。元々このレースで中嶋は「レース前半(30周目前後まで)は燃費を気にせずに突っ走る」作戦をとったため、レース中盤で既に「トップに2周遅れにされないと完走できない」ことが判明していた。中嶋は、自身のベストラップを63周中の61周目に記録しており、全出走車中で最もゴールに近いタイミングで自己ベストタイムを記録したドライバーだったが、これは58周目にトップから2周遅れにされて燃費の心配がなくなった中嶋が、ターボエンジンの過給圧を元に戻したことも関係している。 全13台がマシントラブルでリタイアし、完走は9台だった。また、この1987年にホンダ以外のエンジンでF1勝利を記録したチーム(フェラーリとマクラーレン)の全4台もリタイアした。
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