ホリンズヘッドの『イングランド、スコットランド、アイルランドの年代記』
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「ラファエル・ホリンズヘッド」の記事における「ホリンズヘッドの『イングランド、スコットランド、アイルランドの年代記』」の解説
詳細は「en:Holinshed's Chronicles」を参照 1548年、ロンドンの印刷業者レイナー・ウルフは「全世界の包括的なコスモグラフィーと、あらゆる既知の諸国民の個別の歴史」を作成するという着想を持った。彼は、それを英語で印刷しようと考え、地図や図像も収録した本にしたいと望んだ。ウルフは、ジョン・リーランド(英語版)の著作を多数入手し、それを基に年代記を編纂し、新たな情報も加えて地図を作成した。やがて自力ではこの計画の遂行はおぼつかないと悟ったウルフは、ラファエル・ホリンズヘッドとウィリアム・ハリソンを雇って、彼らの助けを得ることになった。 この企画が完成に至らないまま、ウルフは1573年に死去し、企画の内容はブリテン諸島だけに範囲を限ることに変更されて、書籍出版業組合の会員3名によるコンソーシアムに引き継がれた。事業は、ラファエル・ホリンズヘッドが、ウィリアム・ハリソン、リチャード・スタニハースト、エドマンド・キャンピオン、ジョン・フッカーを雇う形で進められた。1577年、2巻本での出版に漕ぎ着けたが、事前に枢密院の検閲によって、スタニハーストが執筆したアイルランドに関する記述の一部が削除された。スコットランドに関する記述は、大部分がヘクター・ボイス(英語版)のラテン語の著作『Scotorum Historiae』の翻訳であった。 第2版は1587年に出版されたが、記述の一部に女王や大臣たちに対して不敬と見なされる内容が含まれていた。当該ページは枢密院の命令によってページごと除去された。この除去された部分は、1723年に独立した冊子として出版され、1807年には完全な形での復刻版が出版された。
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