ベーオウルフとアングロ・サクソン文学
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「ニコライ・フレデリク・セヴェリン・グルントヴィ」の記事における「ベーオウルフとアングロ・サクソン文学」の解説
1815年、グリモール・ヨンソン・トールケリンが、『ベーオウルフ』 Epic of Beowulf titled De Danorum rebus gestis secul. III & IV : Poëma Danicum dialecto Anglosaxonica ラテン語訳で出版した。アングロサクソン文学の知識がなかったにもかかわらず、グルントヴィは、直ちにトールケリンの詩歌の翻訳の中の一連の誤訳を発見した。トールケリンとの激しい論争の後、トールケリンの仕事の経済的な後ろ盾であったヨーハン・ビューローが、グルントヴィの新しい翻訳、今回はデンマークⅤへの翻訳の経済的な支援を申し出た。 その結果、 Bjovulfs Drape (1820年)が、『ベーオウルフ』の初めての近代語への翻訳として出版された。 グルントヴィは、更に古英語とラテン語で残存しているその他のアングロ・サクソン文学の調査に乗り出す。その両者の詩歌や散文の中には、北方の初期の教会の精神性が啓示されていると彼は考えたのである。グルントヴィは、古代のキリスト教徒や歴史的な思考のモデルに(特に8世紀のベーダによってラテン語で書かれた「救済史」)大変影響を受けていた。コペンハーゲンの王立図書館やエクセター大学、オックスフォード大学、ケンブリッジ大学の各図書館の蔵書を、連続三期の夏休みのイギリス訪問(1829年 - 31年)で利用しながら、彼は、アングロ・サクソン文学の4つの重要な写本の内の二つの写本を作ってしまった。オックスフォード大学ボドリアン図書館にある「エクセター本」と「ユニウス11」である。 彼はこれらを出版しようと考えたが、それは実現するには至らなかった。『ベーオウルフ』とアングロ・サクソン文学は、グルントヴィにとってはその発想の霊感の源で在り続けた。 それは彼の著作に広汎で重要な影響を及ぼしている。
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