ベンヤミンとの交友
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/16 18:10 UTC 版)
「ジゼル・フロイント」の記事における「ベンヤミンとの交友」の解説
フロイントはフランス国立図書館に通って博士論文の執筆を続けた。テーマはフランスにおける写真史に絞られた。ベンヤミンもまたフランス国立図書館でボードレール、玩具、絵葉書など後に『パサージュ論』の「パリ ― 19世紀の首都」に収められることになるパリの文化の諸側面に関する草稿や『複製技術時代の芸術』を書いていた。二人は図書館で毎日のように会い、文学、政治、写真、哲学について議論を交わした。ベンヤミンはアンドレ・ジッドやマルセル・プルーストをドイツ語に訳していたが、フロイントは生活費・学費を稼ぐ手段がなかったため、ライカで写真を撮り始めた。ドイツの両親は裕福ではあっても、ナチス統治下では海外送金が禁じられていたため、経済的支援を受けることができなかったからである。 1935年に渡英し、世界恐慌の影響を目の当たりにしたフロイントは、イングランド北東部の失業者の生活をカメラに収め、翌1936年に創刊された『ライフ』誌に掲載する機会を得た。
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