ベラルーシの軍事的状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:44 UTC 版)
「バグラチオン作戦」の記事における「ベラルーシの軍事的状況」の解説
上記のように複数方面での攻勢を連結させた一連の戦役の結果、5月末の時点で回復していないソ連領は、いまやベラルーシとバルト三国のみとなっていた。ベラルーシは、東部戦線におけるドイツ軍の主力で、装甲軍を含む多くの野戦部隊を抱えた兵力50万の中央軍集団が三年来占拠していたが、バルト海から黒海にいたる戦線のうち、上記のように南方軍集団と北方軍集団が大きく後退した結果、中央軍集団の作戦地域は「バルコン」(バルコニー)とよばれる大きな突出部を形成していた。 一方、赤軍からみると、前年9月の第2次スモレンスク攻防戦によってモスクワ前面の要衝スモレンスクを奪回したとはいえ、バルト海に注ぐダウガヴァ川(ドヴィナ川)沿いのヴィテプスク(ヴィチェプスク)と、黒海に至るドニエプル川流域のオルシャ(ヴォルシャ)との間に展開した、東西に鉄道と幹線道路が走る「モスクワへの陸橋」を抑える「ヴィテプスクの門」は、ドニエプル東岸の橋頭堡を含めてドイツ軍に押さえられたままだった。したがって、今後の戦局を有利に進めるためにも、中央軍集団を排除してベルリンへの最短経路でもあるベラルーシを奪還し、さらに北方軍集団・中央軍集団・北ウクライナ軍集団の間隙にくさびを打ち込むことは、戦略上極めて重要だった。とはいえ、ベラルーシは沼沢地帯と深い森が点在し、大規模な兵力展開が困難な地形で、とくに装甲部隊が攻勢をかけられる地域は限定されており、当然ながらドイツ軍はそうした地区に強力な防禦拠点を構築していた。しかし、かつて帝政ロシアの名将アレクサンドル・スヴォーロフ元帥が言った「鹿の通れる所、そこはロシア兵も通れる」。この言葉の意味をソ連の将軍たちはよく心得ていた。
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