プロゴルファーキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 08:34 UTC 版)
「オービル・ムーディ」の記事における「プロゴルファーキャリア」の解説
1967年にPGAツアーに合格して陸軍を除隊。陸軍時代は軍曹 (sergeant) の地位にあったので、ツアー仲間からは「サージ (Serge)」と呼ばれた。 1969年以前には PGA ツアーにおいて特筆する実績はない。1969年のグレーターグリーンズボロオープン (Greater Greensboro Open) で4人によるプレーオフが行われた際の一人となったが、このときはジーン・リトラーに破れた。 同年6月の全米オープンはテキサス州ヒューストンのチャンピオンズゴルフクラブ(サイプレスクリークコース)で行われたが、ここでムーディーは前年優勝のリー・トレビノをして「とてつもないプレーヤー」と言わせる活躍をした。ムーディーはディーン・ビーマン、アル・ゲイバーガー、ボブ・ロスバーグの3人に1ストローク差の281で優勝した。この年(1969年)のPGAプレーヤーオブザイヤーになった。 現役中合計266の大会に出場したが、この1969年の全米オープン優勝がムーディーとしてのPGAツアーでの唯一の勝利となった(2位が5回)。日本のツアーに参加したりもしたが、最終的にはテキサス州のサルファースプリングスにクラブプロの職を得た。プロとしての初期の時代にはパッティングに難があったという。 シニアPGAツアー(現在はチャンピオンズツアー)に出場するようになって以降は人が変わったように活躍した。50歳になって最初の5試合で3回優勝を果たし、その年の賞金ランク5位になった。最終的にはシニアPGAツアーで11勝した。1989年、全米シニアオープンに優勝し、4人目の全米オープンと全米シニアオープン両方の優勝者となった。ムーディーはシニア入りしてから長尺のパターを使うようになり、これが好成績につながった。 1995年のシーズン前には心臓バイパス手術を受けたが29試合に出場した。
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