プファルツ継承戦争/ウィリアム王戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:08 UTC 版)
「第2次百年戦争」の記事における「プファルツ継承戦争/ウィリアム王戦争」の解説
プファルツ継承戦争は「第2次百年戦争」の発端となった戦争である。イギリスでは名誉革命の直後、ウィリアム3世支持派(ウィリアマイト)とジェームズ2世支持派(ジャコバイト)のあいだでウィリアマイト戦争が起こり、ルイ14世を戴くフランスはジャコバイト支持のかたちで介入、アイルランドなどが戦場となった。それに対しウィリアム3世は神聖ローマ皇帝などによる反フランス同盟(アウクスブルク同盟)の側に立ち、ルイ14世の膨張政策に対抗した。 内政においてウィリアム王は、即位後の数年はホイッグ、トーリーの両党から大臣をとっていたが、1694年には反仏的なホイッグ党からのみ大臣をとるよう転換した。これには、フランスとの戦争を効率的に進めようというねらいがあったとされる。また、ウィリアム3世はアイルランド遠征や対仏戦争のための戦費が膨張し、財政難に陥ったため、それを補うためにイングランド銀行の創設を認める特許をあたえた。 イングランドは1692年のバルフルール岬とラ・オーグの海戦において優勢だったフランス艦隊を破り、英仏海峡での制海権を得た。1697年にライスワイクの和議が成立し、フランスはストラスブールとサン・ドマング(現在のハイチ)を獲得、南インドのポンディシェリとカナダのノヴァスコシア(アカディア)を回復した。スペインはフランスに占領されたカタルーニャ・ルクセンブルクほかを回復し、長くフランス支配下にあったロレーヌ公国は神聖ローマ帝国領となった。イングランドは領土的に得たものはないが、ウィリアム3世がイングランド王として認められ、今後ルイ14世がジェームズ2世およびジャコバイトを支持しないことを約束した。また、スウェーデンは、プファルツ家の継承地プファルツ=ツヴァイブリュッケン公国をフランスより主権奪回した。
※この「プファルツ継承戦争/ウィリアム王戦争」の解説は、「第2次百年戦争」の解説の一部です。
「プファルツ継承戦争/ウィリアム王戦争」を含む「第2次百年戦争」の記事については、「第2次百年戦争」の概要を参照ください。
- プファルツ継承戦争/ウィリアム王戦争のページへのリンク