プウォツクでの聖なる慈しみのイメージ
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「ファウスティナ・コヴァルスカ」の記事における「プウォツクでの聖なる慈しみのイメージ」の解説
ファウスティナは1930年の5月にプウォツクに到着した。この年は最初の彼女の病状の兆候が見られた年で、後年は結核だったと考えられている。彼女は数ヵ月間、修道院の所有する農場の療養所に送られた。彼女が回復してプウォツク地区修道院に戻ったのは、1931年の2月で、そこで9ヶ月過ごした。 ファウスティナはプウォツクの修道院の自室にいる間、1931年の2月22日の夜に次のように書き記している。 イエスが彼女の前に「神の慈しみの王」として現れた。イエスは白い衣をまとい、赤と青の光線を彼の心臓の部分から放射していた。彼女の日記(ノート1、47と48)に彼女はイエスが次のように教えたと書いている。 あなたが見たイメージを見本にして、絵を描き、次の言葉を添えなさい。「イエスよ、私はあなたに信頼します。(ポーランド語: "Jezu, ufam Tobie")」。私はこのイメージが尊重され、最初にあなたの教会で、そしてそこを通じて全世界で、このイメージが尊重されることを強く望む。私は、このイメージを尊重する魂は 苦しめられることはない、と約束する。 この時の見本のイメージ画を絵として完成させるため、ファウスティナはプウォツクの修道院の他の修道女数名に助けを求めたが、手助けを受けることはできなかった。 1931年2月22日にファウスティナは日記に、(ノート1,49)イエスが「厳かに、復活祭の後の最初の日曜日に(神のいつくしみが)祝福されることを望む。その日曜日は 最初の慈しみの祝日である。と伝えたことを書き記している。 1932年11月にファウスティナは修道女として終身の誓願をたてる準備をするためにワルシャワに行った。1933年5月にファウスティナはウァギエヴニキ(Łagiewniki)で修道女として終身の誓願をたてた。
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