ブロンベルク・フリッチュ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:49 UTC 版)
「ラインハルト・ハイドリヒ」の記事における「ブロンベルク・フリッチュ事件」の解説
詳細は「ブロンベルク罷免事件」を参照 ヒトラー内閣の国防相ヴェルナー・フォン・ブロンベルクと陸軍総司令官ヴェルナー・フォン・フリッチュは、イギリスとフランスの中立が担保されない限り、戦争による領土拡大には慎重であるべきという立場であった。そのため冒険的対外政策を推進するヒトラーやゲーリングとはしばしば対立した。ハイドリヒは、オーストリア併合の計画を前にブロンベルクとフリッチュの二人を失脚させるための工作を開始した。 1938年1月、ブロンベルク国防相の再婚した妻エルナが実は売春婦でありポルノ写真を撮っていた、というスキャンダルが発生した。エルナが1974年に語ったところによるとこの際に証拠とされたポルノ写真はハイドリヒが修正技術者の部下に作らせた合成写真であったという。 またブロンベルクの疑惑と同時にフリッチュには同性愛者疑惑が浮上した。ゲシュタポの同性愛取り締まりの担当ヨーゼフ・マイジンガーがフリッチュが同性愛者であるという調書を作成し、ヒトラーに提出した。 結局、この疑惑が原因でブロンベルクとフリッチュは2月上旬に解任されることとなった(ブロンベルク罷免事件)。邪魔者を消したヒトラーは、3月14日にドイツ軍をオーストリアに進軍させ、オーストリア併合を達成した。
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