ブレッタハ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/05 08:50 UTC 版)
シャノフスキーの小城は、ヴュルテンベルク公の森林監督官を務めたノイエンシュタット・アム・コッハーの郷士ハインリヒ・シャノフスキー・フォン・ランゲナウが、1595年に建設した建物。1664年に、エバーハルト3世の弟であるヴュルテンベルク=ノイエンシュタット公フリードリヒがこれを入手した。この小城は、18世紀以降私邸となっている。この建物にはシャノフスキー家の大紋章(1600年頃)が飾られている。 1518年の入り口をもつ自衛教会であるエギディウス教会は、おそらくアレマン人の聖地に起源を持つ古い教会である。中世盛期に壁を有する自衛教会となり、堀も造られた。この中には23のガーデンとよばれる施設が含まれていた。これは、収穫倉庫であったが、防衛施設の中にある住民の避難所としても役に立つようになっていた。1570年頃に堀が埋められ、水源から教会の泉までは暗渠となりリンデンプラッツができあがった。ガーデンは1578年から徐々に破壊・撤去され、現在では19世紀に監獄として利用されていたわずかな棟が遺されているだけである。防衛壁のペスト門とよばれる門は、三十年戦争のペストの頃に開通した。19世紀に教会の泉を覆っていた暗渠は全長17mに延長され、それに伴いリンデンプラッツも拡張された。教会の傍らに2つの戦争記念碑がある。この碑は、両世界大戦で犠牲になったこの町の人を記念して建てられたものである。リンデンプラッツには、1580年建造のルネサンス様式の玄関を持つ壁の遺構に一体化した木組み建築建っている。 修復された17世紀の水車。その近くには1730年にブレッタハ川に架けられた小さな石橋がある。 ゲストハウスの Lamm には、かつての豪華な玄関と1601年の紋章が遺されている。 これ以外のブレッタハに遺る歴史的な公共建造物として、1872年の学校、1888年の町役場が挙げられる。 Brettach 教会 ガーデンと教会の泉 旧学校(1872年) 町役場(1888年) 水車(17世紀) シャノフスキーの小城 シャノフスキー家の紋章(1595年)
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