ブルーノ暗号機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 19:52 UTC 版)
「マリアン・レイェフスキ」の記事における「ブルーノ暗号機関」の解説
戦争が勃発した後、1939年9月にはレイェフスキは暗号局のメンバーとともにポーランドからルーマニアに避難した。ジガルスキやルジツキと一緒にブカレストの避難民キャンプに潜み、拘束されることを避けた。そこではイギリス大使館との連絡も保った。もっとも、イギリスはポーランドの暗号家たちを助けることをことわったので、「ボルカ(ギュスターヴ・ベルトラン)の友達」としての関係があったフランスが彼らを助けることになった。パリからの指令を受け取った後、フランス大使館要員は即座にフランスへ避難させる準備を行い、9月の終わり頃にはフランスに到着した。 10月20日からはポーランドの暗号家達はパリから40km北にあるヴィニョール城に置かれたフランス-ポーランドの合同情報部隊であるブルーノ機関でドイツ軍の暗号解読に従事した。1939年12月から1940年にかけてエニグマ暗号は次々に解読されていった。ブルーノ機関はイギリスのブレッチレー・パークと協力関係にあり、ブレッチレー・パークからは解読されたドイツの通信内容がテレタイプで送られてきていた。暗号解読機関の秘密を守るためにこれらの通信はエニグマで暗号化され、皮肉なことに、「ハイル・ヒトラー!」の決まり文句で終わらせてあった。ドイツがフランスに侵入した後、1940年6月24日、ブルーノ機関はアルジェリアに避難した。
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