ブルガリア・マケドニア宣教とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ブルガリア・マケドニア宣教の意味・解説 

ブルガリア・マケドニア宣教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 01:49 UTC 版)

オフリドのクリメント」の記事における「ブルガリア・マケドニア宣教」の解説

クリメントコンスタンティノープル送られたころ、ブルガリア帝国ボリス1世は、キュリロスとメトディオス兄弟のようにスラヴ語によって情熱的に宣教を行う人材切望していた。モラヴィアから離散したメトディオス弟子たちブルガリア迎えられ、その中にはクリメント含まれていた。こうしてブルガリアスラヴ語典礼奉神礼)を採用することとなったクリメント南西マケドニア位置するクトゥミチェビツァ(Кутмичевица)に派遣され、のちにオフリド主教となったクリメントブルガリアにおいて教育者として精力的に働き多く生徒スラヴ語読み書き教えた。その数は一説には後に聖職者となった者だけでも3500人を下らないだろうと言われている。クリメント生涯かけてスラヴ人聖職者組織的に供給し続けた。またクリメントは、ギリシャ語文献スラヴ語への翻訳のみならずスラヴ語による著述活動をも行いスラヴ語キリスト教著作における最初期作者となった晩年には体の衰えとともに主教職を辞することをシメオン1世願い出たが、慰留受けて職にとどまったその後しばらくしてオフリド主教座から退くと、自身オフリド建立した聖パンテレイモン修道院引退した。ここでも翻訳・著活動続け916年死去した遺体不朽体として聖パンテレイモン修道院埋葬された。多く著作ロシア語翻訳され篤信正教徒書写して読んだ

※この「ブルガリア・マケドニア宣教」の解説は、「オフリドのクリメント」の解説の一部です。
「ブルガリア・マケドニア宣教」を含む「オフリドのクリメント」の記事については、「オフリドのクリメント」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ブルガリア・マケドニア宣教」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ブルガリア・マケドニア宣教」の関連用語

ブルガリア・マケドニア宣教のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ブルガリア・マケドニア宣教のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのオフリドのクリメント (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS