ブエノスアイレス1000kmでの悲劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 13:44 UTC 版)
「イグナツィオ・ギュンティ」の記事における「ブエノスアイレス1000kmでの悲劇」の解説
しかし年が明けた1971年、国際メーカー選手権の開幕戦となったブエノスアイレス1000kmで悲劇が起こる。 165周で行われるレースの36周目、ジャン=ピエール・ベルトワーズの駆るマトラ・シムカMS660がエンジントラブルを起こし最終コーナーでストップ。まだレース序盤でピットが近かったこともあり、ベルトワーズはピットに向けてマシンを押し始める。しかし、後続車が急ブレーキをかけて避けていくという危険な状況だったため、マーシャルはベルトワーズにマシンを置いて安全な場所へ退避するよう指示。 その直後、38周目を走行していたギュンティが駆るフェラーリ・312PBが最終コーナーに差し掛かる。ギュンティは前を走るマシンに視界を遮られていたため、そのマシンを抜こうとアウト側にマシンを振ろうとしたところにコース内に止まるベルトワーズのマシンが現れることとなり、避ける間もなく激突。ギュンティのマシンは爆発炎上。直ちに消火作業が行われたが、マシンは骨組を残して焼け落ち、ギュンティはそのマシンの中で焼死した。29歳没。
※この「ブエノスアイレス1000kmでの悲劇」の解説は、「イグナツィオ・ギュンティ」の解説の一部です。
「ブエノスアイレス1000kmでの悲劇」を含む「イグナツィオ・ギュンティ」の記事については、「イグナツィオ・ギュンティ」の概要を参照ください。
- ブエノスアイレス1000kmでの悲劇のページへのリンク