ブエノスアイレスでの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 02:09 UTC 版)
「ルイ・ルロワール」の記事における「ブエノスアイレスでの出会い」の解説
アルゼンチンに戻ったルイは、公民権を得てブエノスアイレス大学の薬学部に進み、博士号取得を目指した。4度もあった解剖学試験などに苦しみはしたが、1932年、彼は卒業に漕ぎ着けて付属病院に職を得、ラモス・メヒア病院でインターンとして働き始めた。しかし、そこで同僚との衝突や治療方法の混乱などを目の当たりにし、ルイは病院を去り研究に打ち込む決心をした。彼はその真意について「私たちが患者のために出来ることはほとんどなかった…抗生物質、向精神薬、その他の新しい治療薬について(その当時の)私たちはあまりにも無知だった」と述べている。 1933年ルイは、後に彼の研究主題を副腎と糖代謝の探求に導くことになる、ノーベル生理学・医学賞1947年度受賞者のバーナード・ウッセイと出会った。これは、ウッセイがルイのいとこにあたる作家ビクトリア・オカンポ(スペイン語版)の義兄弟と友人関係にあったことがきっかけとなった。この義兄弟の紹介で二人は共同研究を始め、この良好な関係は1971年にウッセイが世を去るまで続いた。ウッセイ死去の前年、ノーベル賞授賞式スピーチでルイは自分のキャリアを振り返り、「私が研究者としてここにいるのは、さるお方の導きによるものです。それは、バーナード・アルバート・ウッセイ教授です」と語った。
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