フランスにおけるベートーヴェン受容
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「パリ音楽院管弦楽団」の記事における「フランスにおけるベートーヴェン受容」の解説
フランスとドイツの血を引く初代首席指揮者フランソワ=アントワーヌ・アブネックはベートーヴェンをレパートリーの中心に据え、1828年の設立後、1832年までに全ての交響曲を演奏した。 1828年:第3番『英雄』、第5番『運命』 1829年:第7番、第6番『田園』 1830年:第4番、第1番、第2番 1831年:第9番『合唱付』 1832年:第8番 その後もアブネックはベートーヴェンの作品を繰り返し演奏し、「前衛音楽」であったベートーヴェンはフランスの聴衆に受け入れられていった。首席指揮者を務めた20年間で、彼がベートーヴェンの作品を取り上げた演奏会は191回中183回に及ぶ。ベートーヴェン以外の曲目も、ハイドン、モーツァルトなど、ウィーン古典派の交響曲が中心であり、限られたレパートリーを高い完成度で演奏する方針ができあがった。 当時、ショパンやベルリオーズもアブネック指揮パリ音楽院管弦楽団の演奏会に頻繁に通ったが、特にベルリオーズはベートーヴェンの連続演奏に強い影響を受け、1830年にフランスでは珍しい交響曲である『幻想交響曲』を作曲した。また、ワーグナーが、アブネックの指揮するこのオーケストラの演奏によってベートーヴェンの《交響曲 第9番》を聴き、ベートーヴェンへの畏敬の念をますます強めたことも有名。
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