フォード・GT40コンストラクター時代とは? わかりやすく解説

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フォード・GT40コンストラクター時代 (1967年~1969年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 16:04 UTC 版)

JWオートモーティヴ・エンジニアリング」の記事における「フォード・GT40コンストラクター時代 (1967年1969年)」の解説

FAV解散から時をおかず看板掛けかえる形で発足したJWAは、フォードからFAVが行っていた事業受託し間断なくGT40製造販売引き継いだFAV最終年1966年フォード本社方針で、レース活動GT40運用する個人チーム支援するのみであったが、独立して自由裁量得たJWAガルフ石油資金提供を受け、GT40を基台にしたプロトタイプ・スポーツカー (以下、プロトタイプ) のミラージュ・M1を開発し、独自のレース活動再開したこの年はフランコルシャン1000キロメートル優勝するなどにより、ミラージュプロトタイプによる製造者国際トロフィー年間4位を得た。また引き続き個人チーム支援し2年連続公認生産車によるスポーツカー国際選手権フォード獲得することに貢献した公認生産車プロトタイプ分割されていたタイトル1968年から一本化されメイクス国際選手権となった公認スポーツカープロトタイプそれぞれ第6から第12クラスと第6から第11クラス参加クラス制限され大排気量プロトタイプ参加資格失ったJWA引き続きプロトタイプでの参加目論み、フォード資本下でコスワース・エンジニアリング (Cosworth Engineering Ltd.) が開発したDFVエンジン (V型8気筒) の供給望んだが叶わず、GT40変型公認取得して参加することとなったこの年は8戦参加してル・マン24時間を含む5勝を挙げフォード年間優勝もたらした1969年GT40前年から開発続けていたプロトタイプのガルフミラージュ・M2 (クーペ) とM3 (ロードスター) を使い分けて参加となった当初ガルフミラージュはBRM・P101エンジン (V型12気筒) であったが、期間後半DFV供給受けられこれに替えたこの年も8戦に参加しル・マン24時間を含む2勝をGT40挙げたことで、フォードル・マン24時間の4連覇達成した。またフォードからの受託事業終了となったミラージュ・M1 フォード・GT40 ガルフミラージュ・M2

※この「フォード・GT40コンストラクター時代 (1967年~1969年)」の解説は、「JWオートモーティヴ・エンジニアリング」の解説の一部です。
「フォード・GT40コンストラクター時代 (1967年~1969年)」を含む「JWオートモーティヴ・エンジニアリング」の記事については、「JWオートモーティヴ・エンジニアリング」の概要を参照ください。

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