フォントノワの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 07:22 UTC 版)
「ロタール1世 (フランク王)」の記事における「フォントノワの戦い」の解説
詳細は「フォントノワの戦い」を参照 841年6月、オセール近郊のフォントノワで、兄弟同士の熾烈な戦闘が展開され、多くの戦士たちが命を失った。この時のあまりの犠牲が、ノルマン人に対する西欧の抵抗力を弱めたとする指摘すらある。この戦いで勝利したのは、シャルルとルートヴィヒであった。 まもなく初代西フランク王(フランス王)となるシャルルと、初代東フランク王(ドイツ王)になるルートヴィヒは、ストラスブール(シュトラスブルク)で、互いに協力し合う誓約を交わした。これが、842年の「ストラスブールの宣誓」と称される。 こうして、ロタールは三弟、異母弟との妥協を余儀なくされ、842年6月15日にブルグント(ブルゴーニュ)のマコンで和平が成立した。その後、領土分割などをめぐっての数度の協議を経て、843年にヴェルダンで最終的な承認がなされた(詳細な内容はヴェルダン条約を参照)。
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