オーストリア継承戦争における軍歴
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「ジョージ・ジャーメイン (初代サックヴィル子爵)」の記事における「オーストリア継承戦争における軍歴」の解説
1737年7月に大尉として第7乗馬連隊(英語版)に入隊、1740年に第28歩兵連隊(英語版)の中佐に昇進した。1743年4月に連隊がフランドルに派遣されたが、同年6月のデッティンゲンの戦いには参戦しなかった。以降オーストリア継承戦争の大陸ヨーロッパ戦役で戦い、1745年5月11日のフォントノワの戦いでは連隊の先頭に立って敵陣に切り込み、胸を撃たれて重傷を負うが、その時点では連隊が敵陣深くに侵入していたため、サックヴィルは(自軍の軍営ではなく)フランス軍の軍営に担ぎ込まれた。 1745年ジャコバイト蜂起勃発の報せが届くと、連隊が本国に召還されたが、このときカンバーランド公ウィリアム・オーガスタスはサックヴィルを失うことを惜しんだという。第28歩兵連隊はアイルランドの守備につくが、サックヴィルは1746年4月9日に第20歩兵連隊(英語版)隊長に任命され、カロデンの戦い直後にインヴァネスで連隊と合流した。その後、インヴァネス、ダンディー駐留を経て1747年夏にフランドルに戻り、翌年にアーヘンの和約が締結されると連隊とともに本国に戻り、1749年11月に第12竜騎兵連隊(英語版)隊長に転じ、1750年に第3カラビニアーズ連隊(英語版)隊長に転じた。
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