フェルネー時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 19:00 UTC 版)
こうしてヴォルテールは1760年にスイス国境に接するフランスの街フェルネ(現在のフェルネ=ヴォルテール)に居を定めることになる。フェルネはフランス領ではあったがジュネーヴとは目と鼻の先にあり、情勢に応じてどちらにも逃げ込める地理的条件が整っていたのである。以後、死の直前にパリに旅立つまで、ヴォルテールはフェルネに住みつづけた。フェルネの館に手を入れ豪華に改築する一方、フェルネの村に内乱状態となったジュネーヴから逃れてきた難民を住まわせ、時計工業や養蚕、絹の生産を行うなど、地元の殖産興業も積極的に行った。また、フェルネに定住してからはそれまでよりいっそう著述に力を入れるようになり、数々の名著が生み出された。1762年にトゥールーズでカラス事件が起きると、ヴォルテールは死刑に処されたジャン・カラスの冤罪を晴らすために奔走し、1765年に再審によって無罪を勝ち取った。この事件をきっかけに、自由主義的な政治的発言を活発に行った。この時期の代表作として、『寛容論』(1763年)、『哲学辞典』(1764年)などがあげられる。
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