フェルフルストによる発表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 14:31 UTC 版)
「ロジスティック方程式」の記事における「フェルフルストによる発表」の解説
ベルギー・ブリュッセルの陸軍大学の数学者であったピエール=フランソワ・フェルフルストによって、ロジスティック方程式は発表された。18世紀になると、トマス・ロバート・マルサスが出版した『人口論』に関心が高まっていた。マルサスモデルの説明で述べたように、マルサスは人口が指数関数的に成長していくモデルを発表し、その帰結として社会が飢饉の発生など破滅的状況を迎えることを予測した。このセンセーショナルな予測は衝撃を与え、当時およびマルサス死後も長く続く論争を引き起こした。「近代統計学の父」と呼ばれるアドルフ・ケトレーも、マルサスのモデルに関心を持ち、人口増減モデルについて論じた。ケトレーは流体の抵抗をヒントにして、人口増加率への抵抗は人口増加率自体の二乗に比例すると考えた。 ケトレーから教えを受けたこともあり、友人でもあったフェルフルストは、ケトレー自身からケトレーのモデルに関する研究を勧められた。ケトレーの考えをもとにして、人口が人口自体によって増加する一方で、人口増加を抑制する何らかの機構が働く数学的なモデルを思案した。1838年、フェルフルストは、"Notice sur la loi que la population poursuit dans son accroissement"という題で研究成果を発表し、この論文の中でロジスティック方程式が提案された。この論文の中でフェルフルストが実際に提案した式は、 d p d t = m p − ϕ ( p ) {\displaystyle {\frac {dp}{dt}}\ =mp-\phi (p)} ϕ ( p ) = n p 2 {\displaystyle \phi (p)=np^{2}} という形であった。p は人口を意味する。フェルフルストは人口自体の二乗によって人口増加率の減少効果を表現し、上記の φ(p) を導入した。当時はこの式の価値を認めるものはほとんどなく、彼の死亡時の告知にも、彼の業績として取り上げられなかった。
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