フェルナンド・ムスレラとは? わかりやすく解説

フェルナンド・ムスレラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 00:06 UTC 版)

フェルナンド・ムスレラ
ガラタサライでのムスレラ (2021年)
名前
本名 ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル
Néstor Fernando Muslera Micol
ラテン文字 Fernando Muslera
基本情報
国籍 ウルグアイ
イタリア
アルゼンチン
生年月日 (1986-06-16) 1986年6月16日(39歳)
出身地 アルゼンチンブエノスアイレス
身長 190cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
ポジション GK
背番号 28
利き足 右足
ユース
2001-2004 モンテビデオ・ワンダラーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2006 モンテビデオ・ワンダラーズ 44 (0)
2006-2007 ナシオナル (loan) 5 (0)
2007-2011 ラツィオ 96 (0)
2011-2025 ガラタサライ 443 (2)
2025- エストゥディアンテス
代表歴2
2003  ウルグアイ U-17 1 (0)
2004-2005  ウルグアイ U-20 13 (0)
2009-2022 ウルグアイ 133 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2024年3月21日現在。
2. 2022年6月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル(Néstor Fernando Muslera Micol、1986年6月16日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身のサッカー選手アルゼンチン・プリメーラエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ所属。元ウルグアイ代表。ポジションはゴールキーパー

なお、ルーツがリグーリア州サヴォーナにあるため、イタリアのパスポートも有するイタリア系ウルグアイ人である。 PKに滅法強く、よくストップしている[1]

クラブ経歴

ウルグアイ時代

モンテビデオ・ワンダラーズの下部組織で育ち、2004年にプロデビュー。2006年には同国の強豪クラブナシオナル期限付き移籍した。

ラツィオ

2007年8月28日、SSラツィオへ移籍金300万ユーロで移籍。9月16日のカリアリ・カルチョ戦でセリエAデビューを飾るが、10月6日のACミラン戦で5失点を喫し、大ベテランのマルコ・バロッタに正GKの座を奪われた[2]

翌2008-09シーズンは、背番号を1番から自身の生年である86番に変更。シーズン後半にフアン・パブロ・カリーソに代わる守護神に昇格した。つづく2009-10シーズンと2010-11シーズンは年間を通じてゴールを守り、2009年にはコッパ・イタリア獲得に貢献。しかし、契約延長をめぐりクラブとの関係がこじれたため、2011年夏に移籍を決断した[3]

ガラタサライ

2011年7月19日、トルコガラタサライSKへ5年契約・移籍金675万ユーロで移籍[4]。期待通り1年目から正GKを務め、2011-12シーズン最終戦のマニサスポル戦ではサポーターの後押しを受けて試合終了間際にPKキッカーを務め、見事プロ初ゴールを挙げた。

2012年11月24日のエラズースポル戦では1点リードの後半44分にペナルティエリア内で相手選手を倒し退場。ガラタサライはすでに交代枠を使い切っていたため、ムスレラに代わって急遽キーパーを任されたMFのフェリペ・メロがPKを止め試合に勝利するという珍しい出来事があった[5]

2024年5月18日、スュペル・リグ第36節において、ガラタサライはカイセリスポルに3-0で勝利し、3季連続25回目のリーグ優勝を決めた。この試合で、今季限りでの退団が報じられていた38歳のムスレラが後半44分にPKを決め、自身のゴールで優勝を祝うという異例の場面があった。シュートは右足でゴール右に放たれ、相手GKにコースを読まれながらも脇の下を抜けてネットを揺らした。ムスレラの得点は、チームメートが功労者に花を持たせた形だった[6]

エストゥディアンテス

2025年6月24日、アルゼンチンのエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタに2026年末までの契約で加入した[7]

代表経歴

2009年10月10日、エクアドル代表とのアウェーゲームでウルグアイ代表デビュー。同年11月のW杯南アフリカ大会大陸間プレーオフではコスタリカ代表相手に好セーブを連発し、2試合で1失点に抑え、本大会出場を決めた。

2010 FIFAワールドカップ本大会ではグループステージ3試合すべてで無失点。PK戦へともつれたガーナ代表との準々決勝では2本をスーパーセーブし、ベスト4進出に貢献した[8]

コパ・アメリカ2011でも正ゴールキーパーを務め、準々決勝のアルゼンチン代表戦ではPK戦でカルロス・テベスのシュートを阻止する活躍を見せるなど[9]、ウルグアイの6大会ぶりの優勝に貢献した。

2022 FIFAワールドカップ・南米予選では18試合中10試合に出場したが、判断ミスによる失点に故障も重なり、ディエゴ・アロンソ監督就任以降は、セルヒオ・ロシェにポジションを譲った。

2022年11月10日、カタールW杯に向けたメンバーの1人に選ばれた[10]ものの、ロシェからポジションを奪い返すことができず、グループリーグ最終節のガーナ戦では、PKを与えられなかったことにより得失点差で決勝トーナメントに進出出来なかったことに腹を立て、試合後にも両チームの選手たちが揉める事件を起こし、チームはグループステージ敗退となった。

2023年1月27日、FIFAはこの事件の主犯とされるムスレラ、ホセ・ヒメネスに対し、4試合の出場停止処分と、奉仕活動、2万スイスフラン(約280万円)の罰金が課されることとなった[11]

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 133試合 0得点(2009年-2022年)[12]


ウルグアイ代表 国際Aマッチ
出場 得点
2009 4 0
2010 12 0
2011 15 0
2012 10 0
2013 14 0
2014 11 0
2015 11 0
2016 11 0
2017 6 0
2018 11 0
2019 11 0
2020 0 0
2021 15 0
2022 2 0
通算 133 0

タイトル

クラブ

ナシオナル[13]
  • プレーオフ:1回 (2007)
SSラツィオ[13]
ガラタサライSK[13]

代表

ウルグアイ代表[13]

個人

  • トルコ年間最優秀サッカー選手 : 1回(2016年)
  • スュペル・リグシーズン最優秀GK : 1回(2017-18)
  • スュペル・リグシーズンベストイレブン : 4回(2014-15, 2017-18, 2021-22, 2022-23)

脚注

  1. ^ Fernando Muslera: il colpaccio di LotitoTUTTOmercatoWEB.com 2007年9月2日
  2. ^ 44歳ラツィオGKバロッタ現役続行へ nikkansports.com 2008年4月12日
  3. ^ ムスレラ、ラツィオとは契約延長せず Goal.com 2011年6月3日
  4. ^ ガラタサライ、ムスレラ獲得を正式発表 Goal.com 2011年7月20日
  5. ^ ガラタサライ、GKフェリペ・メロがPKストップ Goal.com 2012年11月25日
  6. ^ 退団予定GKがゴールを決めてガラタサライ3季連続25度目の優勝 元ウルグアイ代表ムスレラ”. 日刊スポーツ (2025年5月19日). 2025年7月12日閲覧。
  7. ^ beIN SPORTS (2025年6月24日). “Fernando Muslera yeni takımına resmen imzayı attı” (トルコ語). beinsports.com.tr. 2025年6月27日閲覧。
  8. ^ あの手この手でウルグアイ4強/準々決勝 nikkansports.com 2010年7月4日
  9. ^ ウルグアイ代表GKムスレラ、ガラタサライへ”. UEFA.com (2011年7月20日). 2016年10月4日閲覧。
  10. ^ Se confirmó la lista de convocados para la Copa Mundial de Catar 2022”. AUF (2022年11月10日). 2022年11月11日閲覧。
  11. ^ カタールW杯での不適切行為でカバーニらウルグアイ代表4選手に出場停止と罰金処分…代表チームはホーム1試合でゴール裏閉鎖と罰金”. 超WORLDサッカー!. 2023年1月29日閲覧。
  12. ^ フェルナンド・ムスレラ - National-Football-Teams.com
  13. ^ a b c d F. Muslera”. Soccerway. 2015年12月30日閲覧。

外部リンク





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