フィンランド軍における突撃砲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/13 03:39 UTC 版)
「第303突撃砲旅団」の記事における「フィンランド軍における突撃砲」の解説
当時のフィンランド国防軍において突撃砲の存在はあまり重要視されていなかった。 それは歩兵による火炎瓶やカサノパス(鉄製のケースに収束爆弾を詰め、木製の取手を着けた即席対戦車火器)による肉薄攻撃(赤軍戦車の装甲が厚くなった大戦末期ではパンツァーファウストなどによって)が赤軍の戦車にそれなりの被害を与えていたことや、フィンランドが唯一まとまった数を所有していた突撃砲というべきBT-42が成功作とは言い難く、事実戦闘に参加した本車の多くが満足な戦果を挙げる事なく撃破されてしまった事が原因と考えられている。 第303突撃砲旅団の誘致やIII号突撃砲の購入はそれを受けて行われた。 結果的に旅団は芳しい戦果を挙げる事は出来なかったが、一方でIII号突撃砲自体はクーテルセルカの戦いで初陣を飾り、多大な損害を受けるものの、タリ=イハンタラの戦いにおいて圧倒的に上回るスペックのT-34/85やJSU-152に奮戦し、軍上層部の突撃砲不要論を一掃、継続戦争末期のフィンランド軍の防衛に欠かせない存在の一つとして、「シュトゥルミ(Sturmi)」の愛称で親しまれた。 なおフィンランドに対してドイツが供与した戦車は他にソ連から鹵獲したT-34/76やIV号戦車があるが、後者は到着時期が遅く(1944年8月頃)、実戦には参加していない。
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