ファイナル・ガールの物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:56 UTC 版)
「ファイナル・ガール」の記事における「ファイナル・ガールの物語」の解説
そうしたジェンダーの攪乱がスラッシャー映画においてどのように生じているのかについて、クローバーが示した説明モデルの主要部分は、当時のフェミニスト映画理論の影響を強く受け、精神分析的な解釈である。 クローバーによれば、殺戮者たちの不安定さ・奇形性は、助けを求めることのできない弱い子供のような「女性的男性」を象徴している。一方でファイナル・ガールは女性だが、言動や判断力・分別の強さなどから自立した成人男性の代替物という性格を強くもち、その点で両性具有的な「男性的女性」として位置づけられる。 男の殺戮者による暴力からファイナル・ガールによる反撃へ進んでゆくというスラッシャー映画の物語構造は「ジェンダー・アイデンティティのゲーム gender-identity game」であり、そこで語られているのは、ジェンダー間の境界線が動揺しながら物語の主体が女性的男性から男性的女性へと移行してゆくプロセスである。 ヒッチコックの『サイコ』においては主人公ベイツが母親と二重人格になることによって男性を女性へ置き換えていったが、現代スラッシャー映画では、女性を再ジェンダー化 (regendering)することによってジェンダーの交換を解決する。このジェンダー交換が完成するとき、スプラッター映画も終幕を迎えることになる。クローバーは「ファイナル・ガールが男根化されるとき物語の進行は停止し、恐怖は終わりを告げる。夜が明け、共同体はふたたび元の状態へと戻ってゆくのだ」と指摘している。
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