ビール・ワインとの競合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)
「日本酒の歴史」の記事における「ビール・ワインとの競合」の解説
明治維新とともに数多くのビール醸造メーカーも酒造業界に参入したが、酒造業者(酒蔵)と酒問屋は自分たちの商品と競合するビールの進出を好まなかったため、従来からの酒問屋・酒小売店はビールを取り扱わなかった。そのためビールは酒屋ではなく薬種問屋などで売られるようになり、日本酒とは異なる流通網が構築された。 また明治政府は、欧化政策の一環として国民に西洋の酒類をより多く消費させようとして、当初ビールやワインに対しては、日本酒に対するような重い課税を行なわなかったため、日本に急速にビールが浸透した。1901年(明治34年)、ビールも課税対象になったが、ワインは無税であった。それ以後太平洋戦争末期にかけて、日本酒には造石税・物品税・庫出税などさまざまな課税がなされていくが、ワインは醸造免許にかかわる税のみで、商品に対する酒税は免除されていた。このことがビール・ワイン業界の基礎体力ともいうべきものを温存し、戦後の復興もスムーズとなった。昭和時代後期から現在におけるビール・ワインの酒類消費シェアの拡大の裏には、明治初年の欧化政策が尾を引いているのである。
※この「ビール・ワインとの競合」の解説は、「日本酒の歴史」の解説の一部です。
「ビール・ワインとの競合」を含む「日本酒の歴史」の記事については、「日本酒の歴史」の概要を参照ください。
- ビール・ワインとの競合のページへのリンク