ビスマルクを宰相に据える
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:30 UTC 版)
「アルブレヒト・フォン・ローン」の記事における「ビスマルクを宰相に据える」の解説
事実上内閣の取りまとめ役だったフォン・デア・ハイト蔵相は無予算統治に反対して辞職した。これによりホーエンローエ=インゲルフィンゲン内閣は事実上崩壊した。 後任の宰相にオットー・フォン・ビスマルク(当時駐フランス大使)を据えようと考えたローンは、9月20日、パリのビスマルクに「遅延は危険(Periculum in mora)。急がれよ(Dépêchez-vous)」という電報を送った。この召集はローンの独断だった。9月22日にヴィルヘルム1世の引見を受けたビスマルクは、無予算統治を行ってでも軍制改革を断行する決意を表明した。これを聞いたヴィルヘルム1世はビスマルクを宰相に任じる決意を固めた。 宰相となったビスマルクは、自由主義者のナショナリズムを煽ろうとして、9月30日の衆議院予算委員会において鉄血演説を行ったが、自由主義者の反応は冷やかだった。ローンはこの演説を自分たちの目的に利するところがほとんどない「機知にとんだ無駄話」と評した。この後ビスマルクとローンは自由主義者への譲歩を決意し、正規軍現役兵役を職業軍人と徴集兵に分離して、後者を兵役2年とし、かつ補償金を支払えば兵役を逃れることができる制度を定めた兵役法案を衆議院に提出しようとしたが、マントイフェルの進言を受けたヴィルヘルム1世によって却下された。 自由主義者の取り込みに失敗したビスマルクは結局、空隙説という強引な憲法解釈を振りかざして無予算統治を開始した。これを違憲として批判する自由主義者との間に憲法闘争(ドイツ語版)が撒き起こるが、ビスマルクとローンは小ドイツ主義統一を推し進めることによって自由主義者のドイツ・ナショナリズムを煽ることで解決を目指した。
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