ビスマルクやモルトケとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 09:30 UTC 版)
「アルブレヒト・フォン・ローン」の記事における「ビスマルクやモルトケとの関係」の解説
ナポレオン3世を捕虜にしたセダンの戦いの戦勝祝賀パーティーでヴィルヘルム1世は「ローンが剣を研いで準備し、モルトケがこの剣を振るい、ビスマルクは外交で他国の干渉を防いでプロイセンを今日の勝利に導いた」と語った。その三人の中ではローンが最も地味な存在であるが、これはローンの業績が軍制改革という戦争の準備にあり、戦争が始まった後にはビスマルクの陰に隠れた存在となったことが原因である。 ビスマルクとは長きに渡って二人三脚を組んだが、彼に不安を感じることもあった。ローンは、ビスマルクについて「彼はどんな代価を支払ってでも踏みとどまろうとする。だが、目的を達成するための手段ときたら!目的によって手段は正当化されるのか。」とビスマルクの目的のためには手段を問わないやり方を否定的に語ったことがあった。またビスマルクが保守主義にほとんどこだわりを持っていないのではと疑う事もあり、甥のモーリッツ・フォン・ブランケンブルクに「ビスマルクは保守主義者とは保守的に、自由主義者とは自由主義的に語り合う」と嘆いたことがあった。 モルトケとの関係はよくなかった。モルトケはローンについて「悲観的すぎて、一緒に仕事しにくい人物」と思っていたという。
※この「ビスマルクやモルトケとの関係」の解説は、「アルブレヒト・フォン・ローン」の解説の一部です。
「ビスマルクやモルトケとの関係」を含む「アルブレヒト・フォン・ローン」の記事については、「アルブレヒト・フォン・ローン」の概要を参照ください。
- ビスマルクやモルトケとの関係のページへのリンク