ヒュダスペス以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 09:08 UTC 版)
「ポロス (古代インドの王)」の記事における「ヒュダスペス以後」の解説
その後ポロスはアレクサンドロスの重要な同盟者としてヒュパシス川(現在のビアース川)までの地域の平定に協力し、アレクサンドロスが撤退した後にはこの地域全土を与えられた。またアレクサンドロスの仲介によってタクシレスとの講和が成立した。 程なくアレクサンドロスがインダス地方を委ねた太守のピリッポスが反乱で殺されたため、アレクサンドロスはインドに残した代官エウダモスとタクシレスに書簡を送り、追って正式の総督を任命するまで両人が協力してこの地域を統治するように命じた。しかし紀元前323年にアレクサンドロスが急死し、その後帝国の支配を争ったディアドコイは主に小アジアおよび二次アジアに目を向け、そこを主戦場とし、遠隔のインド地域は放置されたため、エウダモスとタクシレスの支配は既成事実となったまま推移した。紀元前316年にはシンド総督で名目上エウダモスとタクシレスの上位者であったペイトンがインダス東岸から撤退したため、これ以後のパンジャブの情勢はほとんどわからなくなる。 ポロスのその後は明らかでない。シケリアのディオドロスの『歴史叢書(英語版)』によれば、紀元前317年にエウメネスに加勢すべくインドを去ったエウダモスがポロスを殺害してその領地と軍を手に入れた(シケリアのディオドロス, 『歴史叢書』, XIX, 14)。いずれにせよ紀元前305年にセレウコス1世とマウリヤ朝(マガダ国)のチャンドラグプタがインダス流域で遭遇する時には、すでにポロスの王国が消滅していたのは確かである。
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