パルプ小説とチャンドラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 07:07 UTC 版)
「レイモンド・チャンドラー」の記事における「パルプ小説とチャンドラー」の解説
短編集 Trouble Is My Business (1950) の序文でチャンドラーは、探偵小説の決まりきった枠について考察し、パルプ・マガジンがそれ以前の探偵小説とどう違うのかを考察している。 標準的探偵小説の感情的基盤は、常に殺人が発覚し、正義がなされるということだった。技術的基盤は、大団円へと向かうこと以外は相対的に重視されないということだった。それによって探偵小説を書くということは多少なりとも通り一遍の作業となっていた。大団円が全てを正当化する。一方「ブラック・マスク」型のストーリーの技術的基盤は、プロットよりシーンを重視するという点で、その意味でよいプロットとはよいシーンの連なりでできているものである。理想的なミステリとは、読んでいて結末が読めないものであろう。我々がそれを書くとき、映画製作者と同様の観点に立っている。私が初めてハリウッドに行ったとき、非常に賢いプロデューサーから推理小説を元にして成功する映画を作ることはできないと言われた。なぜなら最も重要な暴露の瞬間が映画ではほんの数秒しかかからず、観客が帽子に手をのばしていたら見逃すだろうと言うのである。彼は間違っていたが、それは間違った種類のミステリを考えていたためだった。 また、パルプ・マガジンの編集者が要求する型に従う際のパルプ作家の苦心を説明している。 私が自分の書いた作品を振り返ったとき、それがもっとよいものならよかったのにと思わないではいられない。しかし、それがもっとよいものだったなら、出版されなかったかもしれない。型枠がもっと柔軟なものだったら、当時の著作物のより多くが世に出ていただろう。我々の何人かはかなり熱心に枠から抜け出そうとしたが、多くは捕まって送り返された。枠を壊さずにその限界を超えることは、絶望した老いぼれ馬以外の全ての雑誌作家の夢だった。
※この「パルプ小説とチャンドラー」の解説は、「レイモンド・チャンドラー」の解説の一部です。
「パルプ小説とチャンドラー」を含む「レイモンド・チャンドラー」の記事については、「レイモンド・チャンドラー」の概要を参照ください。
- パルプ小説とチャンドラーのページへのリンク