パドリ戦争とは? わかりやすく解説

パドリ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/22 14:48 UTC 版)

パドリ戦争(ぱどりせんそう、インドネシア語:Perang Padri)は、1821年-1837年オランダ領東インド(現インドネシア)のミナンカバウ地方(現在の西スマトラ州)で、イマム・ボンジョル[1][2]が指揮するイスラーム改革派(パドリ派)と、オランダ軍が支援する反パドリのアダット派(慣習派)とのあいだで起きた戦争である。当初は宗教改革運動として推移したが、オランダ軍が介入したことによって反オランダ戦争の様相を示すことになった。


  1. ^ 1772-1864年、はじめはマリ・バサでのちにこの名になった。パドリ派の間で非常に大きな影響力を持つ指導者であり、近代教育を受け平和を好んだ。指導者は他に、トゥアンク・メシガン、トゥアンク・ナン・レチュ、ダトゥック・バンダハロがいる。
  2. ^ イ・ワヤン・バドリカ著、石井和子監訳、桾沢英雄・菅原由美・田中正臣・山本肇訳『世界の教科書シリーズ20 インドネシアの歴史-インドネシア高校歴史教科書』明石書店 2008年


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