パトリオットの反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:31 UTC 版)
「ムーアズクリーク橋の戦い」の記事における「パトリオットの反応」の解説
クロスクリークで会合が行われたという報せは、その数日後にパトリオット側ノースカロライナ植民地会議の代議員にもたらされた。植民地会議は第二次大陸会議の決議に従い、1775年秋に大陸軍のノースカロライナ第1連隊を起ち上げており、ジェイムズ・ムーアにその指揮を委ねていた。ウィルミントンとニューバーンの地方安全委員会もそれぞれアレクサンダー・リリントンとリチャード・キャズウェルを指揮官とする民兵隊を組織していた。2月15日、パトリオットの部隊は動員を始めた。 初期の動きを示す地図A: ムーア隊のウィルミントンからロックフィッシュクリークへの移動B: マクドナルド隊のコルベット・フェリーへの移動C: キャズウェル隊のニューバーンからコルベット・フェリーへの移動 ムーアはロイヤリストの部隊が海岸に到着するのを阻止することを目指し、ウィルミントンから大陸軍兵650名を率いて出た。この部隊は2月15日にロイヤリストの宿営地から約7マイル (11 km) のロックフィッシュクリークの南岸で宿営した。マクドナルド将軍はその到着を知り、ムーアにマーティン総督が発した宣言書と、反乱者に武器を置くことを呼びかける文書の写しを送った。ムーアはロイヤリストが「彼等の」武器を置き大陸会議の支持に回るよう促す独自の呼びかけで応えた。一方でキャズウェルがニューバーンの民兵800名を率いてこの地域に向かっていた。
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