バスケットボールシューズの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 06:27 UTC 版)
「オニツカタイガー」の記事における「バスケットボールシューズの開発」の解説
オニツカは1949年に設立。戦後間もない日本の青少年育成に貢献し、より良い未来を再建することを企業理念とした。鬼塚の最初の製品は草鞋にも似たバスケットボールシューズだった。このデザインは兵庫県バスケットボール協会の理事長だった松本幸雄など多くの人に受け入れられず、デザイン段階まで戻って選手の動きによく順応するデザインが考えられた。シューズの問題点は靴底の滑りやすさであった。1951年、鬼塚は夕食に出されたタコの酢の物に着想を得て、タコの吸盤のようにくぼみの深いソールを搭載した「TIGER BASKETBALL SHOES」を開発。グリップが強く、プレーヤーの速攻や急停止といったゲームには欠かせない動きを可能にした。松本の紹介もあって、新商品は全国に広まった。バスケットシューズは製造が難しく、製造委託先が頼みであった靴づくり素人の鬼塚に手を差し伸べたのが、神戸・長田の吉川ゴム工業所社長、吉川寅一であった。彼の名前が「オニツカタイガー」の由来の一つである。
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