ランニングシューズの開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 06:27 UTC 版)
「オニツカタイガー」の記事における「ランニングシューズの開発」の解説
バスケットボールシューズの開発に次いで、鬼塚はランニングシューズの開発に没頭した。当時の日本マラソン界は、地下足袋のようないわゆる「金栗たび」で走るのが一般的で、選手たちは足にマメができるのに悩まされていた。長距離走者がマメに悩まされないランニングシューズを開発するため、オニツカはマラソン選手の寺沢徹と協力。1955年には日本全国500店舗のスポーツ用品店にまで事業を拡大した。1958年、短距離走者のオリバー・スキルトンは欧州大会で銅メダルを獲得した時にオニツカの靴を着用した。1960年には軽量で走りやすく、優れた通気性を持つ「MAGIC RUNNER」が登場。MAGIC RUNNERは、マメのできる仕組みを大阪大学医学部の水野祥太郎教授から「簡単にいえば火傷の原理だ」と教わり、入浴時に自身の足の指先がふやけるのを見て靴の中の温度上昇を抑えることを発想したという。 鬼塚は空気循環システムを研究し、孔を開けるという発想が初めて登場した。
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