ハンムラビの征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 06:37 UTC 版)
「イシン・ラルサ時代」の記事における「ハンムラビの征服」の解説
再びメソポタミア全域に支配権を打ち立てることになるのがバビロン第1王朝の王ハンムラビである。ハンムラビが即位した時(紀元前1792年)、既に北方ではアッシリアのシャムシ・アダド1世が、南方ではラルサのリム・シン1世がその最盛期を迎えており、バビロンはこれらに挟まれて厳しい立場にあった。ハンムラビはシャムシ・アダド1世との友好関係維持に細かく注意を払い、その支持を得て南のラルサに対抗した。紀元前1784年頃までにラルサのリム・シン1世と戦ってイシン、ウルク、ウルなどを攻略し、バビロンの勢力を拡張した。さらにエシュヌンナとも戦って領域を拡張した。 シャムシ・アダド1世が没するとその息子たちを見限り、マリのジムリ・リムに接近して同盟を結んだ。マリとの同盟は到底シャムシ・アダド1世の支援ほどの効果は得られず、ハンムラビは大規模な軍事活動を起こすことはできなかった。その後20年前後にもわたり、ほとんど専ら国内整備と防御に時間を費やした。 転機となったのは紀元前1764年の戦いである。この年、エシュヌンナ、アッシリア、グティ人、エラムなどの同盟軍がバビロンを攻撃した。マリの支援もあり、ハンムラビはこの戦いに勝利し行動の自由を得た。翌年、一挙に南下してラルサのリム・シン1世を打ち破りラルサを併合した。続いて長年にわたる同盟相手であったマリのジムリ・リムも滅ぼしてマリを併合した。紀元前1757年頃にはエシュヌンナ市を完全に破壊し、アッシリアへも出兵してこれを征服した(征服した範囲については明確ではない)。 これら極めて短い間のハンムラビ王の征服活動の結果、再び全メソポタミアを支配する王朝が登場し、バビロン市がメソポタミアの中心都市として舞台に登場し始めることとなった。
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