ハミルトンによるビンセンズ再占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 05:50 UTC 版)
「イリノイ方面作戦」の記事における「ハミルトンによるビンセンズ再占領」の解説
デトロイトでは、8月始めまでにハミルトンがクラーク隊によるイリノイ地方占領を知った。ハミルトンはビンセンズを取り返すことに決め、約30名のイギリス軍正規へ、145名のフランス系カナダ人民兵、エグシャワの指揮するインディアン60名を集めた。エグシャワはオダワ族の影響力ある戦闘指導者だった。民兵隊の前衛隊はデトロイト志願民兵隊のノーマンド・マクロード大尉が率いた。10月7日、ハミルトンの本隊がビンセンズまで300マイル (480 km) 以上の行軍を始めた。ウォバッシュ川を下り、ウィアタノンで停止し、クラーク隊によるイリノイ地方占領後にアメリカに対する同盟を宣言していたインディアンを徴兵した。12月17日にハミルトン隊がビンセンズに入った時までに、多くのインディアンが加わっていたので、総勢は500名に達していた。ハミルトン隊がサックビル砦に近付くと、ヘルム大尉の下に居たフランス系カナダ人民兵が脱走し、残されたヘルムと数少ない兵士は降伏した。町民は即座にアメリカ合衆国に対する忠誠を覆し、国王ジョージに対する忠誠を新たに誓った。 ビンセンズを再占領した後、インディアンとデトロイト民兵の大半は故郷に戻った。ハミルトンは約90名の兵士と共にサックビル砦で冬を過ごすことにし、イリノイの他の町を春には取り返す作戦を立てていた。
※この「ハミルトンによるビンセンズ再占領」の解説は、「イリノイ方面作戦」の解説の一部です。
「ハミルトンによるビンセンズ再占領」を含む「イリノイ方面作戦」の記事については、「イリノイ方面作戦」の概要を参照ください。
- ハミルトンによるビンセンズ再占領のページへのリンク