ヌーベルフランスへの定着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 03:46 UTC 版)
「国王の娘たち」の記事における「ヌーベルフランスへの定着」の解説
国王の娘たちは、ケベック、トロワリビエール、モントリオールで下船した。ヌーベルフランスに着いた彼女たちが夫を探すのに要した時間は、それぞれ異なっていた。自分にふさわしい夫を探すのに、ある者にとっては数カ月、また別の者には3年を要した。夫探しとなると、また実際の結婚ということになると、多くの男女は教会で、聖職者と立会人の付き添いの元、正式に結ばれた。一部の夫婦は公証人の前に進み、結婚誓約書に署名した。結婚は、大抵は新婦の側の教区の司祭により執り行われた。結婚予告(英語版)は結婚式の前に、教会で3回にわたり行われるべきものであったが、植民地側からの結婚の要請もあって、事実上結婚予告を受けたに等しい、わずかな数の国王の娘たちの早期の結婚が求められた。国王の娘たちのうち、737人がヌーベルフランスで結婚式を挙げたといわれる。 結婚誓約書は、女性の保護を意味した。夫婦や夫に経済的な危機が生じた場合、そして、選んだ女性を夫が気に入らずに結婚を無効にする場合の保護策であった。この結婚無効は、1669年から1671年の間の国王の娘たちの間で、とりわけ強かったように見える。持参金をめぐって、男性の間で一悶着あったと思われるからである。また、結婚しない男性には毛皮交易許可証が取り消されるなど、半強制的な結婚の奨励が進められたともいわれる。国王の娘たちの大半は安定した結婚生活を送ったと見られ、正式に離婚を願い出たのは4名であった。また、結婚しなかった32名のうちの大部分はフランス本国に帰国した。
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