ヌーベルフランス総督まで
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「ロラン=ミシェル・バラン・ド・ラ・ガリソニエール」の記事における「ヌーベルフランス総督まで」の解説
ラ・ガリソニエールは母カトリーヌ・ベゴンが1712年から1726年までアンタンダン(英語版)を務めたミシェル・ベゴン・ド・ラ・ピカルディエール(英語版)の妹であり、自身も1651年から1657年までのヌーベルフランス総督ジャン・ド・ロゾン(英語版)の親族マリー=カトリーヌ=アントワネット・ド・ロゾンと結婚したため、ヌーベルフランスとの繋がりがあった。 ラ・ガリソニエール自身は海軍士官であったため、ヌーベルフランス総督職は軍事上必要だったことで渋々受け入れただけであった。民衆には好かれた模様であったが、資源の不足により多くを成すことはできなかった。それでも、彼はピエール=ジョゼフ・セロロン・ド・ブランヴィル(英語版)を派遣してフランスの交易地を増やし、フランソワ・ピケ(英語版)を派遣してデトロイト地域とオハイオ川流域の先住民へキリスト教を布教し、イギリスのアメリカ植民地を抜け駆けようとした。 彼は行政官と外交官としての才能があった。ヌーベルフランスでの貢献により、彼は海戦を戦ったことがなかったにもかかわらず海軍少将に昇進した。その後、海軍デポ(Dépôt de la Marine)の管理を命じられた。
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