ナポレオン包囲網
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:29 UTC 版)
「アレクサンドル1世 (ロシア皇帝)」の記事における「ナポレオン包囲網」の解説
1804年12月にフランス皇帝に即位したナポレオンを「ヨーロッパの圧制者、世界の平和の妨害者」として、アレクサンドル1世は1805年にイギリス、オーストリアと第三次対仏大同盟を結んだ。彼が英国に派遣したノヴォシリツェフは、ウィリアム・ピット首相(小ピット)、カスルリー外相に、ナポレオンに対する勝利はフランスを専制者から解放することのみならず、ヨーロッパに平和をもたらす人類の神聖な権利であると説いた。キリストの意志による神の任務を遂行するといった主張には、後の神聖同盟の萌芽が見て取れる。 一方ナポレオンは対仏大同盟の一角を崩すために、ロシアに対してはポーランド人、オスマン帝国、ペルシアと同盟関係を結び、ロシアを牽制した。また、ロシア国内では、皇弟コンスタンチン・パヴロヴィチ大公が対仏大同盟からの離脱を唱えるなど、国内にも反対勢力が形成されたが、ナポレオンを「反キリスト」と見なすアレクサンドル1世の戦意は旺盛であった。
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