ドリー・ワイルド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 10:10 UTC 版)
「ナタリー・クリフォード・バーネイ」の記事における「ドリー・ワイルド」の解説
ドリー・ワイルド(1895年 - 1941年)はオスカー・ワイルド(ナタリー・バーネイは彼と少女のときに会った)の姪で、ワイルドの名を帯びた一族最後の一人であった。彼女はエピグラム的な機知で有名であったが、有名なおじとはちがって、天賦の才を出版可能な執筆に向けられなかった。彼女が遺したものは書簡集だけであった。彼女は翻訳者としていくらかの仕事をしたが、1927年に会ったバーネイをふくむ人々にしばしば資金面で援助を受けていた。 ヴィヴィアンと同様に、ワイルドは自己破壊を決心しているように見えた。彼女は大酒を飲み、ヘロイン常用者になり、そしていくたびか自殺未遂をした。バーネイは更生のために金を出したが、いつも効果的はなかった。ワイルドはある更生施設に滞在している間に、当時医師の処方が不要なまま入手できた催眠薬であるパラアルデヒドの依存症にもかかってしまった。 1939年、彼女は乳癌と診断され、外科手術を拒み、代替治療法を探した。翌年、第2次世界大戦が彼女をバーネイから引き離した。彼女はイングランドに向けてパリを発ち、バーネイはブルックスとともにイタリアに行った。1941年、彼女は死亡した。死因は十分に説明されなかったが、ことによるとパラアルデヒドの過量投与だったかもしれない。
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